「子どもに関わりたいと思う市民」ができるまちの子どもたちへの関わり方~市民が行う4つの事例紹介~

子どもの心の孤立のループを変える

貧困、虐待、虐待など、現在子どもたちの周りには様々な社会問題があります。それらの表面化した課題の背景には、共通して潜む「心の孤立」という課題があります。

人から大切にされる経験に欠けると、自分を大事にできなくなります。すると、他者から手を差し伸べられたとしても受け取れず、人への信頼感がなくなっていきます。そして図のようなループに陥っていき、家庭や学校、地域の中で孤立していってしまいます。

心に小さな傷ができたとしても、互いに頼り頼られる仲間がいたら。心の孤立も、市民一人ひとりが地域の子どもに関わっていくことで、少しずつ解消されていきます。

専門家ではない人が市民として専門家とは違う関わりをしていくこと、その時に発揮される関わりを「市民性」と私たちは呼んでいます。


一人ひとりの市民が、自分なりの「市民性」を生かす

では、市民性とはどのようなものでしょうか。
私たちは、生活のなかでの市民性の発揮の仕方について以下のように分類してみました。

右側を個人が市民性を発揮した時に起こるものとし、右上を継続的な関わり、右下を断続的な関わりと分けています。

生活のなかでの発揮の仕方は、このように自分のペースにあったところからスタートできると良いと思います。また、具体的に、どのような市民性を発揮したらよいか?を考えるには、まず自分のできることや活用できるものからスタートしてみることがおすすめです。


人とお話をするのが好き、本が好き、ゲームが好きなどの個性、昼間に時間がある、ペットを飼っている、自由に使える場所を持っているといった資源(できること/活用できるもの)、PTA、地域の自治会、面白い仕事をしている人と繋がっているというネットワークなど、市民性は一人ひとりにあった発揮の仕方があります。

「子どものために」となると、時に続けるのが難しくなることもあります。
だからこそ、子どもだけでなく、自分のできるところから、自分の好きなところから始めることで、無理なく、楽しみながら市民性を発揮していくことが大切になっていくと考えています。


まちで発揮されている市民性の4つの事例

今回は実際にPIECESが行うプログラムの修了生の方からきいたお話から、4つの事例を紹介します。

①日々できること
毎日の習慣や、生活の行動のなかに、組み込むことで子どもやまちと関わる余白や糸口をつくることができます。劇的な変化や貢献している実感はないかもしれませんが、その毎日がきっと市民性の基盤となります。

挨拶する
自分の子どもたちを幼稚園に通わせていた当時、朝の時間はまさに戦場のようだった。イライラは常にMaxで毎朝のように玄関先で子どもたちを怒鳴りつけ、やっと出発。下の子をベビーカーに乗せ、べそをかく長男の手を引き、やり場のない怒りを抱えながらただ黙々と園まで歩いていく。

それでも、やっとの思いで園に着いたとき、園長先生が満面の笑みで「おはようございます~」と声をかけてくれると、それまで抱えていたイライラ、モヤモヤがさーっと消えて、気持ちがとても晴れやかになった。

※参考:特別じゃない「おはようございます」に支えられた6年間



②プロジェクトの実施・参加
社会には、色々なプロジェクト(子ども食堂や、各機関・団体のボランティア募集)があります。すでにあるプロジェクトに継続的に参加してみるのも1つです。また、自分のつくりたい場を思い切って企画するのも1つです。継続できなくても年に1回でも、子どもに間接的に関わるプロジェクトも良いと思います。

だがしやふぃーか(高知の駄菓子屋プロジェクト)
5月5日子どもの日に駄菓子屋を始めようと決めて、周りの人に話たり、SNSで発信した。無理なく継続するためにどうやって駄菓子を集めるか、どんなレイアウトが子どもたちにとって良い場になるか、毎日考えた。

すると、SNSを見た友人が駄菓子屋を作る手伝いをしてくれたり、知り合いのおじさんがもう使わない棚を持ってきてくれたり、たまたま近所を通りがかった大学生が手伝いをしてくれた。

1週間前には近所の家に一軒一軒ビラを配った。今では何十人もの子どもたちが入れ替わり立ち替わり遊びに来る。駄菓子を買いにくる子もいれば、遊びスペースで時間を過ごす子、お手伝いをしてくれる子など、関わり方は様々だ。

※参考:高知県の駄菓子屋さん”正解のない”居場所づくり

③自分の範囲(仕事/プライベート)をひろげる
普段の自分の行動や活動を少しだけ広げることでできることもあります。それは、新しくなにかを始めるというよりも、自分なりにできるサイズで、自分が心地よいと思える範囲での工夫です。

こころコンビニ
コンビニのオーナーとして働いていると、何日もお風呂に入れていないだろうなという人や万引きしてしまう子どもなど、様々な人や子どもに出会う。その背景を考えると、複雑な気持ちになる。何かできることはないだろうかと、コンビニの一角にボードゲームや本などを置き、居場所を作ってみた。宿題をする子どもたちに地域の人が声をかける循環が生まれ、顔見知りのようなゆるい繋がりが生まれ始めている。

※参考:コロナ禍、広がる子供の孤立 「市民」にできることは

④まちの視点から
自分かまちか、ではなく、まちの風景である自分としてできることがあるかも知れません。また、まちをつくるだけではなく、子どもが主体的に関わる余白をまちにつくるところから市民性の土壌が耕されていくこともあります。

シャボン玉
駅前でシャボン玉をふいてみた。見た人がそれを気に留めても留めなくても自由な関わり。実際に目の前を通る人たちの反応も様々で「シャボン玉!」と喜ぶお子さんもいれば、「なんかシャボン玉やってる変な人いる!」と言いながら通り過ぎる人もいれば、シャボン玉を写真に撮っていく人もいた。

※参考:私の願いと誰かの願いが出会う場所
~自己覚知で見つけた「大切な自分のメガネ」~



今回紹介したのは、全てPIECESが行うプログラム修了生の事例でした。
ここで紹介した人たちは全員が最初からしていたわけではありません。ですが、自分に何かできることをしたいという思いで、子どもたちや地域に関わっていきました。

大きいことではなくとも、私たち一人ひとりができることがある。そして、多様な市民が、様々な形で市民性を発揮したら、子どもたちだけでなく、みんなが暮らしやすい地域になるのではないでしょうか。

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貧困、虐待、不登校。「支援者」に頼るのが難しい構造と地域の中に戻る子どもたち。

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「大人」と「子ども」が共に育む、風景としての子どもの遊び場づくり。