「忘れない」でいること

私はその昔、北海道の大学に通う学生だった。

不登校を経験した後、猛勉強の末に大学に入学したものの、人としゃべることにブランクがある私は、おどおどとした様子で、なかなか学校生活になじめなかった。

これでは、不登校でその後、猛勉強すると決めた時に決めた、「自分が苦しい経験をしたからこそ、誰かの力になれるのではないか。自分の経験を消化して誰かの力になりたい」と願った自分になれていない気がした。

少しずつ自分を変えなきゃと思って大学の授業の一環で通い始めたボランティアを通して、少しずつ人と関わる経験が生まれた。

失敗続きの自分を笑い飛ばしてくれる方の存在にあたたかくなった。

そんなボランティア活動の一環で私が一番心に残っているのは、ボランティアを通して知り合った、発達障害をもつ子どもや親御さんを支援する「親の会」の方々との出会いである。

最初は一緒にキャンプにいったり、山登りに行く程度の付き合いだったが、自分の得意を見つけてくれて私も安心した。

自分のできる事、得意なことを見つけてくれた。

元々、ボランティアを始める前に生活のこともあり塾講師を続けていたこともあり、学習支援や受験指導が得意だった。

この団体の代表の方は私の得意な部分を認めてくれ、

「●●君は、こんなことで困っているんだけど、どうやって教えたらいい?」「○○は受験で困っているんだけど、どうしたらいいか?」

などと頼ってくれる場面もあった。

彼らが頼ってくれることを通して、また自分の過去の経験を話すきっかけから、年末年始に受験指導をする合宿をやろうと話してくれた。

私が北海道の●市に行くと、主催して下さるこの会の代表の方がわが子同然のように受け入れてくれた。私が講師としてたくさんの子を指導した。

勉強の合間に、除夜の鐘をたたきにいったり(実は指導している子の中に寺の住職の跡継ぎの子がいたの)、一緒に雪合戦をしたり。

子ども達と勉強する時間も楽しくて、あっという間だった。

一緒に食べたご飯もとってもおいしかった。

この場所で子ども達が「できた!」と嬉しそうにする時の笑顔、除夜の鐘をたたきに行った時のいたずらっ子の笑顔。そんな場面を一緒にいることが出来ることで、私の孤独感も薄まった。

できた!と嬉しそうに言っていた子が高校に入学したと後日手紙をもらった。嬉しそうな笑顔、出来たことで次の挑戦へと頑張る姿を見て、私まで嬉しくなったことを覚えている。

私が今でも学習支援をしたいと願うのも、子ども達がくれた笑顔や、居場所を作ってくれた方の思いをたくさんもらったから今でも学習支援をしたいと願うのかもしれない。

あれから、4年の月日がたった。あれっきり1回しかできなかった学習支援。来年はといううちに、地震がやってきて、コロナがやってきて、縁遠くなってしまっている。

遠く離れた場所でも私はいつでも彼らのことを忘れずにいられたらと思う。そして、自分の居場所を作ってくれた人のように、誰かにとって心地よい場所を作れたらと改めて思う。

いつか胸を張って会いに行ける時まで、私も頑張って、あの子たちにとって恥じない自分になって「あの時あんなことあったよね」といいながら、今度はお酒を片手にお話しできたらなと願っている。

今は、会いに行けるほど、胸を張れる自分じゃないから、今できることを頑張って、彼らを「忘れない」でいることが私にできる事なんだろうなと感じる。

北海道はもう雪が解けただろうか?これから雪がとけて花が満開になる私の大好きな季節かな?

そんなあの街並みを思い出しながら、がんばるエネルギーをもらいながら私も一歩一歩歩いていく。


※この文章は、記憶の中にある「まちで感じた優しい間」を募集した際の文章です。
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ある日、知らないおじちゃんに声をかけてもらった。