ある日、知らないおじちゃんに声をかけてもらった。

2018年冬。高校3年生。
春に部活を引退して、秋に学校祭も終わり、高校生活での楽しかった大イベントが全て終わった。残るは人生スパンで見ても大イベントな大学受験。私はこの大学に行きたい!とか、大学に行ってこんなことしたい!みたいな確固たる意思を持ってなくて、なんとなく周りも行くから〜くらいの気持ちだった。だから、モチベーションになるものが特になく、頻繁に心が一杯一杯になってしまっていた。

私はこの先どうなるんだろう。
受験うまくいかんかったらどうしよう。
なんで受験しようとしてるんだろ。
とりあえず勉強しなきゃ。したくないな。

全てを投げ出したいような気持ちになった時、
私はいつも散歩にでかけていた。

幸いなことに、私の住んでいた家は徒歩15分程度で綺麗な夕焼けの見える海があった。部活を辞めたくなったとき、人間関係がしんどくなったとき、勉強を投げ出したくなったとき、1人になりたいとき。
心が求めているかのように、いつもこの場所に向かった。

大自然の海と波、心地よく肌寒い風、少しずつ薄暗くなっていく夕焼け空。私という人間が自然の中に溶けていくような感覚が大好きだった。自分が自然の一部になったと感じるとき、私の悩みなんて"ちっぽけな"ものだと思えた。そして、また、日常生活に溶けていこう、そんな勇気をもらえた。

"受験"と言う言葉に疲れて、全てを投げ出したくなったとある日の私も、いつものようにここへ向かっていた。途中まではいつもと同じ散歩だった。でもこの日、多分信じられないくらい浮かない顔して歩いてたんだろうな。

「姉ちゃん、どげしたん?
 えらい浮かん顔しちょるがな。
 なんかあったんか?」

おじちゃんが声をかけてくれた。
1人になりたくてここにきたこともあり、最初は、
あーーもうめんどくさいなって思って、
「いやぁ、ちょっと色々あって…」
って逃げようとした。

でも、おじちゃんはそれじゃ許してくれなくて、
「高校生か?〇〇高校か?
わしも〇〇高校出身だけんなぁ……。」

そんなふうに自分語りを始めた…。
最初はいやいや聞いていたけど、おじちゃんは色んな話をしてくれた。聞いてるうちに私も楽しくなってきて、たくさん笑った。その後で、私の話をとことん聞こうとしてくれた。勉強がしんどいこと、プレッシャーに押しつぶされそうなこと、なんで勉強してるのかわからないこと、この先が不安なこと…。

多分30分くらい話してたのかな。
何話したか、内容は正直あんまり覚えてない。笑
ただ、ひとつだけ鮮明に覚えているのは、おじちゃんと話した後に、心が少し軽くなっていたこと
そして、笑顔でいられてたこと

この30分がなかったら、今の私はないかもしれない。そのくらい人生で大切な30分だった。

この日の最大の後悔は、おじちゃんの名前を聞き忘れたこと。また会えたらいいな、そんな気持ちで散歩をしたこともあったけど、会えることはなかった。もしかしたら一度きりの出会いだったかもしれない。でも、私はこの場所に行くたびに何度も心の中でおじちゃんに出会ってきた。

たった一度、声をかけてもらっただけ。
その記憶から、何度も何度も救われる。


あの日の私はまだまだ未熟で、そんなことには気づかなかった。だから、もっとちゃんと感謝を伝えればよかったなって思ったりもする。

次、おじちゃんに会えたら。
なんて、考えたりもしたけど、おじちゃんはそんなこと望んでないような気もする。声をかけてくれたおじちゃんの優しさ。それを体感した私が、今度はおじちゃんの立場になる番だと思っている。でも、おじちゃんはそんなことも望んでないのかもしれないね。

「なぁ〜んも特別なことはしちょらんがな。
 姉ちゃん、人生好きなことしーや!」

特別なことじゃない。
いつか私も、心からそう伝えられるように。


※この文章は、記憶の中にある「まちで感じた優しい間」を募集した際の文章です。
こちらのnoteから

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