「私は見えていないんじゃないか」自分の存在を不安に思った子どもをフォローした大人の些細な行動
定期的にボランティアをすることも、居場所づくりもできないなら子どもに関われない?
市民一人ひとりの関わりが、子どもたちの心の孤立を解決していく。
私たち認定NPO法人PIECESは、子どもたちの周りにあるさまざまな社会問題の背景にある「心の孤立」という課題を解決するため、「子どもたちに自分のできることを」という市民に向けて研修プログラムを行っています。
プログラムでは「市民性」という言葉を何度も使います。専門家ではない人が市民として専門家とは違う関わりをしていくこと、その時に発揮される関わりを「市民性」と私たちは呼んでいます。
生活のなかでの市民性の発揮の仕方について以下のように分類してみました。個人で行うものとしては、子ども食堂などの居場所づくり、ボランティア活動への参加などが思いつきやすいところだと思います。
「時間がないから定期的にボランティアをすることも、居場所づくりもできない人は子どもたちに何もできない」そう考える方もいるかもしれません。
ですが、何か目の前で子どもが困っていた時に何かできることがあるかもしれません。今回はある女性(さやかさん)が体験した話を紹介します。さやかさんは子どもの頃に両親が離婚し、引っ越しや裁判も経験しています。その時に周りの大人がしてくれたこと、そして子どもだったさやかさんが感じたことを教えてくださいました。
引越し屋さんと弁護士さんの話
突然ですが私は、夜逃げならぬ昼逃げをしたことがあります。両親の離婚がうまく成立せず、母は私と妹と共に突然家を出ました。
アパートの契約だけ済ませ、ある日引越しのトラックがやって来ました。当然荷造りなどしておらず、でも事情を知っていた引越屋さんは「持っていく物を教えてくれれば、僕らでやります」と言って手早く荷物をトラックに詰め込みました。私にとって生まれて初めての引越しでした。
アパートに着くと、僅かな荷物はすぐに部屋に運ばれました。引越屋さんが「時間が余った」と、本当は業務外の家電の設置や細々した事もしてくれました。そんな引越屋さんの姿に『世の中には、私たちを助けてくれる人もいるのかな』と思ったのを覚えています。
その後、両親の離婚は調停で成立せず裁判になりました。父からは、家族がまた一緒に暮らすために本当の事を話してほしいという手紙が届きました。母の弁護士さんからも「法廷で証言できるか」と聞かれました。話下手な母は、いつも裁判で緊張して打合せ通りに話せないのだと説明されました。私は「やります」と答えました。
結審の日、結局証人尋問は行われず私と妹は傍聴席から裁判を見届ける事になりました。小さな法廷でしたが、テレビで見た事があるそのままの造りでした。一番緊張したのは、父が法廷に入ってきた瞬間でした。父は私たちに一瞥も与えませんでした。
今ここにいる大人たちの目に、私と妹は一切見えていないんじゃないか。
ふと、そんな気持ちになりました。裁判官が入ってきて、法廷に「起立」と声が響きました。私は初めてで何も知らなかったけれど、開廷の時は全員で起立、礼をする慣例があるようです。戸惑った瞬間、母の弁護士さんがこちらを振り向いて、手で“立って”と合図をくれました。
『ああ、私って、見えてるんだ…』
きっと弁護士さんにとっては何気ない一瞬のこと。けれどあの瞬間の安堵を、今でもとても良く覚えています。
些細な行動が他者への信頼を育むきっかけになる
引越し屋さんは荷造りのお手伝いを、弁護士さんは手で合図をしてくれました。彼らが取った行動自体は仕事の範囲内のことであり、子どもに向けた居場所づくりをしていたり、助けようと思って子どもに出会いに行った訳でもありません。
ですが、それらの行動は不安に駆られていたさやかさんをそっとフォローするようなものになっていました。心細い時にそういったフォローをしてもらえると、安心に繋がっていきます。そして、さやかさんが『世の中には、私たちを助けてくれる人もいるのかな』と思ったように、他者への信頼も育まれることもあります。
継続的な活動ができなくても、まちを見つめ、自分にできることから関わってみること。そして、その心の準備をしておくことは、私たち一人ひとりにできることかもしれません。